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2005年8月17日 (水)

さらばライブドア

まさかとは思っていたのですが、ホリエモンが自民党から衆議院選挙に出馬することが濃厚になってきました。

社長が政治家になるから不買運動をするというようなわけではないのですが、どうも気が乗らないので、前から興味があったはてなダイアリーに引越しをすることにします。

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2005年8月16日 (火)

カンフーハッスル(ネタバレ)


 カンフーハッスル コレクターズ・エディション

このところ、お盆の妙な忙しさの中で、毎日、NHK戦後60年特集を、だいたい見てました。
でもまぁ、こういうまじめなものばかり見ていると、どうも気が滅入ってあきまへん。

と、いうことで、久しぶりにこのDVDを見ましたが、実に面白かった!

「少林サッカー」もそうでしたが、貧しい人々の中にこそ、実に優れた人物がいるという視点とかが、たまらなく、いいですな。

さて、チャウ・シンチーが使う拳法が「如来神掌」。どういうわけか仏教系。香港では仏教が盛んなのでしょうか。
そのあたり、それなりに膨らませていて、最後の最後にその不可思議な拳法で、最悪の敵をも包み込んでしまうというオチになってるわけです。

戦争とか敵意とか侮蔑とか民族対立とか憎しみの連鎖とか不毛なナショナリズムとか、もうたまらなく荒んだ世界ばかりこのところ見ていたのが、やっとすこし、やわらいだ気がしました。

あと、「獅子の咆哮」は、訴えられたおばさんを連想してしまいますね。どうしても。。。

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2005年8月 8日 (月)

本尊

明朝、4時起床で暁天講座へお話しに行くもので、またもや、しんどいです。

今シーズン、暁天講座にお話しに行くのは明日で終わりです。

これまで、その時々で、自分も社会も違っているのだから、毎回内容の違うお話をしなければいけないようにしていました。それが、このところ、定例以外はずっと「本当に尊い事」という題で、お話しに行っています。

というか、これまでは、自分自身というものがはっきりしていなかったから、毎回、違う話をせざるを得なかったのかもしれません。今は、同じテーマを深めていく形なので、以前よりは、楽です。

というか、楽がしたくなったから、同じテーマになっているとも言えますわね。

「本尊とは何か」というお話は、けっこうありふれていると思うのですが、どの方の話を聞いても、どうも具体的な感じがしませんでした。ではなぜ念仏がそんなに尊いのかということについては、教学的な言葉を並べるだけで、踏み込まれていないのではないか。

それで、私は、私自身がなぜ念仏が尊いと思うのかを、自分の経験を晒すかたちで、今、話しています。それなりに表現できてるなと思っていたのですが。このごろ、また迷い始めました。

自分の経験を話すと、どうしても飾るということがあるように感じ始めました。そして、本尊を自分の都合のいいように、自分を正当化するために利用していないかということも。自分を晒すってのはけっこうしんどいということもあります。

先輩たちは、こういうことを避けるために、冷静な言葉で語ってきたんですかね。

まぁそのあたりを考えつつ、明日は有終の美を飾ろう、もちつけ、オレ、でした。

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機動戦士ガンダム THE ORIGIN

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご存知のとおり、もう20年以上前、アニメからはじまって映画、プラモなど色々な形で展開し、「おたく」文化の中心となっている作品なんですが、

今頃になって、今度はコミック化されてるわけです。それが実に面白いのです。

なんで、こんなに面白いのか、いろいろ考えてはみるのですが、さっぱり、分かりませんね。

他人に薦められるわけではないけれども、私限定で、とにかく楽しめる作品です。

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蓮

 

母が育てている蓮が開きました

あおさんとこのは開いたらどうなるのかな

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2005年8月 7日 (日)

やっと3列になりました

2ヶ月近く、待たされましたね。

重すぎますかね?

まぁ、これからこれで、やっていきます。

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2005年8月 6日 (土)

近況

暑い、とにかく暑いな!
 
ことしも寺でラジオ体操をやってくれている。これまで皆出席だ!
暁天講座にお話にいったり、聞きに行ったりもしているんで、サマータイムみたいな生活になっている。
あしたは小松へお話しに行くぞ!あたって砕けろ!!オレ!
 
夕食にビールをいただいたので、酔って書いている。
 
準備して早めに寝るぞ! 毎日、ぎりぎりでやってるな。。。 orz
 

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2005年8月 5日 (金)

雨あがる

久しぶりに心やすらぐ映画を見た。
 
「たそがれ清兵衛」は教訓的で必死すぎた。この三沢伊兵衛の方が、私の好み
 
貧しいけれど力強く生きている人々に対する尊敬の念と、「なにをしたか、ではなく、なんのためにしたか」手段ではなく願いを大切にせよというメッセージが伝わってくる。 
 
黒澤明の世界は、一味違った。雨あがる 特別版

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2005年8月 4日 (木)

下斗米伸夫「アジア冷戦史」

冷戦から現代までの東アジア政治史が、新たにロシアから公開された資料を加えて、再構成されている。ミコヤンとか、懐かしい名前が出てくる。
 
 
「社会主義君主制」とでもいうしかない北朝鮮ができてしまった過程が明らかにされている。冷戦以降のソ連、中国、アメリカ間の緊張関係と歴史経緯によるわけだが、同じ理由で戦争ではなく協議によって核問題解決を目指すことにもなっている、ということかな。
経済再生、民主化が平和に北朝鮮にもたらされることにならないもんだろうか。
 
6カ国協議がおこなわれている今、とてもタイムリーな本だった。

アジア冷戦史

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2005年8月 3日 (水)

華氏911

いまごろになって、この映画をみる、オレもオレですが。
 
いろいろ聞いてはきたが、まさか、アメリカがここまで逝っちゃってる国だなんて!
 
手元にあるアフガニスタンやイランについての本が、つらくて、読めなくなってしまった。
 
華氏 911 コレクターズ・エディション

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2005年8月 2日 (火)

ア・フュー・グッドメン(ねたばれ)

キューバと対峙している軍隊で、兵士が急死する。
実行犯の二人の上官が、自らの意思で殺人をしたのか、司令官の命令によるシゴキでの事故死だったのか(もしかしたら内部告発を防ごうとする殺人だったのか?)を裁く軍事法廷のお話。もとは舞台の脚本だったらしい。
司令官ジャック・ニコルソンの演技がド迫力。こんな上司、オレなら震え上がるだろう。
 
トム・クルーズ扮する弁護士の機知によって真相が明らかになり、上官たちは、殺人容疑に関しては無罪、殺人共同謀議に関しても無罪。
しかし、「合衆国海兵隊員にもとる不当行為」について有罪の判決が下り、二人は除隊処分となる。
「自分で戦えない人を守るのが俺たちの務めだ。サンティヤゴを守ってやればよかった。」と上官の一人がつぶやいて、ジ・エンド。

戦えない人のために軍隊があるのであり、軍隊のために弱い人が犠牲になるということは許されないということだ。ならば、軍隊があることによって生活を脅かされる、犠牲になる人が存在する現実はどういうことなんだろうか。基地に脅かされる沖縄、爆撃で奪われたイラクの子どもたちの命。

そして、命令されて戦争した兵士に、法律上の責任はないとしても、責任はないのではない。戦争は、彼らだけではなくそれに関わるものたちに、「不当行為」、道義的責任とでもいうものを強いる。 
 
けっこう余韻の残る映画。ア・フュー・グッドメン

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2005年8月 1日 (月)

高橋哲哉「教育と国家」

最初はうとうとしながら読んでたんですが、第四章「道徳心と宗教的情操の涵養」のところで、はっと目が覚めました。
 
教育現場に配布されている「心のノート」に書かれている「人智を超えた『おおいなるもの』に対する畏怖の念」、「おおいなるもの加護によって生かされてきたことの感謝の念」ですが、これは現行の教育基本法にある「個人の尊厳」や、「個人の価値」の尊重、一人ひとりのかけがえのない存在が出発点という考え方への対抗理念であると、筆者は位置づけています。
 
そして、この流れに沿っている、全日本仏教会の理事長名で出された教育基本法第9条(宗教教育の条項)の改正を求める要望書に、著者は警告を発します。http://joho.easter.ne.jp/genko03.html
 
 感謝の念を大切にしようというのは、仏教でもキリスト教でも同じでしょう。また、仏も現世に対しては超越的なものでしょう。そうした超越性、人間、個人を超えたものが宗教で敬われることは事実です。
 そこで、現に全日本仏教会がそうであるように、「宗教的情操の涵養」といわれると、宗教者たちは、「これは自分たちの世界だ」と思って引きつけられていく。そして一般の人も引きつけられていくことは十分ありうることです。けれども、そこにはちょうど、かつての天皇制が、国家を一つの宗教的な存在にする、いわば天皇制として機能したのと似たような構造があるのです。
 
「引きつけられ」ちゃあきまへん。警戒せなあかんのに。
 
私は、ハンセン病問題を学ぶなかで、戦後も回復者たちが里帰りするのではなく、「自分の苦しみを受け止め、ここで生きていくことが大事なのだ」と、療養所にとどまることを促す役割を仏教がしてきたのではないかと思っています。国家賠償請求裁判に対しても、真宗の教えを聞いてきた回復者のほとんどは、批判的だったそうです。
http://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/13.pdf
教義がなぜ命の尊厳を叫ぶ活動を眠らせることになったのか、どこが間違っているのかを確認することを私たち門徒が、やらないわけにはいかないでしょう。

さて、高橋さんは教育基本法が掲げる「個人の尊厳」の内容を、以下のよう確認されています。
 
・・・教育勅語と教育基本法はどこが違うのでしょうか。教育勅語は、共同体のために、国家のために個人を犠牲にするという思想に基づいていますが、教育基本法は真っ向からそれを否定したところがポイントだと思います。
 しかし、個人の尊厳といっても、ある個人が主張するあらゆる主張が認められるわけではありません。当然ながら、あらゆる欲望が満たされるわけではまったくない。先にも述べたように、個人というのはあくまでも、家族、会社、学校、あるいは国、さらには国際社会といった、さまざまな集団のなかで他者と関係を持っている存在です。そのなかで他者の尊厳を侵すような行為は当然認められるはずがありません。
 したがって、教育基本法の認める「個人の尊厳」、「個人の価値」というのも、エゴイズムに似たものと誤解するのか、それとも、国家や共同体との関係を踏まえて、権力による価値観の強制を批判するものとして捉えるかで評価はまったく違ってくるのです。
 
なるほどなと。このあたりを読んで、「靖国問題」では分からなかった著者の立脚地が少し見えた気がしました。そして、やり方は違いますが、権力に対するカウンターの権威を立てるという役割が、本来は、宗教にあるはずだと、考えました。
教育と国家

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