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2005年6月30日 (木)

信仰をもつということ

きのうはらくりんさんをお迎えしての研修会、今日は近くのお寺で一日、お話をしてきた。ほとんど家に居つけない感じだったが、やっと日程表が通常営業になったかんじだ。くたびれはてた。
 
このリアルブログに復帰して、やっとこさ一ヶ月が経った。とんでもなく忙しくて、1月がなかなか終わらなかった。1月が1年ぐらいに思えた、いや、マジです。ホンマに。
 
ここでブログを書いてきて、「ミリオンダラーベイビー」の安楽死についての感想が、こうも他の人と違っていることに少々、驚いた。いろいろ考えたが、結局のところ、私が信仰をもっているということが、こういう違いに出てくるのであろう。
 
わたしも原理主義ということの危険性は意識している。だから、教条的に命は大切だと主張するつもりもない。また仏教は自我への固執を課題にしているのだから、生命への固執ということも議論にできうる。
 
しかし、それだからこそ、臓器移植や安楽死など、生命に関わる問題には、無宗教の人よりも、敏感になってしまうのだろう。ならざるをえないのだろう。
劇中でも、キリスト者である設定のクリント・イーストウッドは、悩みに悩んでいた。
 
その意味では、こういう敏感さをもつことができているオレでいて、信仰をもっていて、よかったと、妙な意識をした事であった。
 
7月からは、少し余裕がでてくるかな。うれしい。

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2005年6月29日 (水)

女子格闘技2

きょうは同朋の会があったんだが
なんだか仕事の話をブログでするのがいやになってきた
 
今夜もまたネットうろうろしてたら
ダンプ松本とかアジャコングのブログみつけて楽しんだ
藤波とか長州がいまだにがんばってるのは知ってたけど
やつらも現役とは知らなかった でも全女は解散らしいな
 
それにしてもブログのおかげというかライブドアのおかげか
あるいは格闘家とかプロレスラーと我々の間がボーダーレスになってきてるのか(?)
TVの向こう側にいた人たちが すごい身近になってるのは
すごいことだなと思う いつでもコメントとかできて
コミュニケーションできる可能性あるもんな
 
きょうはスマックガールの大きな大会があったということで
その結果がのっているブログを読んで
勝った人、負けた人のブログを読んで楽しんでいる
 
一度もみたこともない世界を 文字だけから想像してここまで楽しめるなんて
 
なんだか じつに いいかんじだな
 

羽柴まゆみ One Day

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2005年6月27日 (月)

女子格闘技

面倒な会議が終わって やれやれと帰って
なんとなくブログとかをさまよってたら
いつのまにやらスマックガールとかいう
女子格闘技団体のHPとか観戦記とかをダラダラ読んでいた
 
プロレス観戦もすきだったし その流れでUWF前田日明から格闘技がおもしろくて
いまもK1とかプライドとかのTV放映はだいたい見てる
昨日の桜庭はかわいそうだったな 相手が強かった
おれも実際、合気道をやったりした 2年ぐらいでやめたけど
 
今、女子格闘技団体のほうは男子みたいに数がなくて
そのスマックガールというところに集中しているらしい
一度、見てみたいものだ 

そんなふうにダラダラして今日はおわってしまいそう

まぁ いいや          とりあえず 暑すぎですよ

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生活ほっとモーニング

6月28日(火)8:35〜
シリーズ戦後60年目のメッセージ(3) 基地の島 沖縄からの声

アレン・ネルソンさんが出演されるという情報があります

http://www.nhk.or.jp/hot/onair_new/index.html

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ミリオンダラー・ベイビー

今週はこれからきつい仕事とか続くので、
ストレス解消に見に行ったつもりが、
なんとも、こんな重いテーマを扱った映画だったとは。。
 
イーストウッドの行為を、頭から否定はできないけど、
どんな状況でも、人の命を奪うってどうなのか、
もっと考えなければならないんじゃ。
そして、それを受けてこんな、やわらかなエンディングは×だと思う。
 
ストレス倍増させて帰ってきました。
 
あしたの会議がひどく、憂鬱になりました。

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2005年6月25日 (土)

ガンダム・モデル進化論

今夜のデスティニィ「アスラン脱走」はよかったですな なかなか
 
デュランダルの考えていることは どうも捉えきれないのですが
与えられた役割を果たすことを選ぶミーアと
自ら戦う目的を探そうとするアスランとの決別のシーンとか
メイリンが脱走の手引をするという怒涛の展開が
実にえかったです
 
さて、下の本、面白かったですわ
この本に出てくるサンダーバード2号 おれ 作りましたわ〜
秘密基地なんかもつくったかもしれない 懐かしいなぁ
「変身サイボーグ」は雑誌の広告とかで見て ほしかったけど買えんかった
そこで自分のプラモへの関心は終わってしまったわけですが
アニメとかは楽しんでいたわけで
同時代 知らないところで こんなすごい「文化」ができていたのね
 
ガンダム・モデル進化論 と いうことでした

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2005年6月24日 (金)

このごろ重く、思うこと

 2年ほど前かな、洞村の強制移転について学ぶ研修会で神武天皇陵へいきました。そこでボクは、このリンクの方のように、その鳥居が演出する荘厳さに取り込まれてしまったのでした。
 深い緑の丘に少し霞がかかっている。荘厳な風景のまえにシンプルな鳥居があるだけ。そのたたずまいの前にいると、こう、なんだか、自分まで荘厳になったようで。気持ちよかったです。
 ただ、あの丘は人工的な盛り土ということです。そういうことを考えると、かなり醒めますがね。
 あるいは、水豊かな田圃に青々とした稲が育っているのを見ると、すごくこころやすらぐんです。ほっとする。
 まぁ、水田が「自然」を示す状態である考えるのは個人的な趣向に因っています。生まれ育ったところがそういうところだから。それは間違いない。

 で、真宗の教えは、このごろの私には人工的、人為的に感じられてしょうがない。自分を罪悪深重の凡夫、この国を穢土という視点で見るって、すっごい、しんどくない?
 
 なんでそう感じ始めたかというと、この社会において、欲望肯定という考え方がどんどん強くなってきているからじゃないかな。この国が、欲望を延長した「偏狭なナショナリズム」に、のまれてしまいそうだから。
 
 おきらくにいきたくてしょうがない、今日この頃。
 がんばって、「本願のいわれ」を聞き続けな あかん

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2005年6月22日 (水)

出会いなおす

組の解放運動研修会に出席。
引き続き懇親会にていま、帰ってきました。
 
講師は、大学院時代に同じゼミにいたK。
解放運動推進本部でがんばっていて、ちょとやっかんでいました。
 
どうも不思議な成り行きで、彼がなぜこんなにがんばっているのか
その根源あたりを聞くとこになりました。
 
ちょと、酔いつつ、しみじみとしております。

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2005年6月20日 (月)

交響詩篇エウレカセブン

 5月31日にMMOを引退して、まだまだ一月たっていません。それから、毎日、ぜんぜん時間が足りないかんじ。5月までいったいどうしてたんでしょう。

 
 で、こう、ほっと一息つけるのは、私の場合、やぱりアニメだったりします。
「交響詩篇エウレカセブン」は最近みはじめたのですが、その前の分もネットで購入したりして、はまりつつあります。
 実績のあるスタッフが集まっているということで、絵も音楽も精錬されてます。こいつのオープニングは何度みてもあきません。すごくいいです。
 空中を走るボード好きの少年が成長していく物語みたいなかんじ。やわらかい絵と魅力的なキャラたちで肩のこらないのがいい。こういうのならモビルスーツみたいのを出す必要なんてないんじゃないか、プラモデル売らなあかんから?なんだかロボットが異質と思っていたんです。
 
 それが主人公の憧れの人たちが、元は無抵抗な人々を虐殺した軍人で、そのPTSDに苦しんでいることが明らかになりまして、様子が変わってきました。
 
 モビルスーツという設定がアニメで頻繁に使われるようになったのは、テレビで戦争をリアルに描くわけにいかないってこともありそう。等身大にして無機質にして殺し合いを隠喩してるとか。操縦者である人間を描いたり、無視したりして、リアル感を適度に調整してるということで。
 
 このアニメの場合、主人公レントンはまだ、エウレカに「きみも戦争に加担しているんだよ」と言われても、その意味がわかっていないようです。淡い恋心に焦点がいったままで、最後まで気づかせないってことは、まさかないとは思いますが。
 
 まぁ、適度に注目してます。交響詩篇エウレカセブン 1

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2005年6月18日 (土)

ネルソンさんに会いました

 

ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」―ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」

  人に会うっていうことは、大事なことだと実感しているので、がんばって金沢まで行ってきました。聴衆は50人ぐらいか、もっといたかな。スタッフでミネさんががんばってました。
 
 ネルソンさんは「いったいどんなきっかけで戦争の恐ろしさに目を開くようになったのか」多くの人に尋ねられるそうです。それについては、戦場でヴェトナムの女性の出産に遭遇したことを話されます。「私はヴェトナム人が人間であることを発見し、同時に私自身の人間性も発見したのです。」とあります。アレン・ネルソンの「戦争論」〈2
 
 私には二人の子どもがいますが、出産の場でなく、別室で無事を祈るだけでした。でも上の子のときは出産後に呼ばれ、臍の緒を切るということをさせられました。なんの説明もなかったんですが、あれはどういうことだったんでしょう。いずれにせよ、ネルソンさんの体験は、私にはよく分からない、想像してみるしかない事です。出産に立ち会った人は命の尊さみたいなことを感じるのかな。よかったら教えてくださいよ。
 
 それにしても、戦場から帰ってきたときの、おかあさんの「お前は私の息子ではない」という言葉は、ネルソンさんにはつらかっただろうと、想像して余りあります。厳しく冷たく感じたのではないでしょうか。母だから感じたままを遠慮なく言っちまったんでしょうが、国のために戦ったという考え方を剥いでしまったわけですから、しんどいですわな。
 
 ウチの母なんぞも、ちょっといい気になって自己陶酔してたりすると、すぐさま突き落とすような事、いいますわw ちょっとはいい気持ちでいさせて欲しいのに。
 
さて、6月28日火曜の朝、NHK生活ホットモーニングにネルソンさんが出演するらしいという情報があります。見ましょう。ガセでないことを祈りましょう。

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2005年6月17日 (金)

発願回向

今日は組の同朋会へお話しに行く。テキストは「宗祖親鸞聖人」、聖人の生涯をたずねたものだが、今月は六角堂での夢告がテーマ。性の問題をどう話したらいいのかずっと憂鬱だったのだが、けっきょくのところ、大乗仏教の課題の克服みたいな、かしこまった硬い話になったような気がする。
 
座談会。いきなり先回少し触れた三願転入についての質問がでる。いつもそういう言葉に敏感なおばあちゃんからの質問。なんとか分かりやすく話すように努力。続いて別の方から二十願のなかの回向という言葉について、これは自力ということなのかという質問。説明はするが、徐々に話せば話すほど難解になっていくよう雰囲気に焦りまくる。。。
いつでも、どこでも、だれでもできるお念仏を語るのに、
なぜいつもこんなことになってしまうんだろう。
 
帰り、車のハンドルを握りながら同朋新聞6月号の表紙にある記事を思い出した。
「発願回向とは何か」という老女の問いに、棟方志功が答えたという。
「おばあちゃん、アンタが今それを問うておることが発願回向じゃないか」と。
記事を読んだときは何を言っているのか分からなかったが、今やっとその意味が分かった。
自分の思いを超えて、自分を突き動かすような問いが生まれてくることを、発願回向、他力回向といってるんだと。
 
そういう言葉がポンと出てくるようになりたい。
とにかく志功のようになりたい。
どうしたらそうなれるのかはさっぱり分からんが、
そのためにオレは奮闘努力するのだ。

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あしたネルソンさんに会いにいくのだ

真宗大谷派 金沢教務所 講座「私が私であるために」
ベトナム帰還兵が語る《ほんとうの戦争》

日 時  6月18日(土)14:00〜16:00
場 所  金沢東別院真宗会館ホール(金沢市安江町)
講 演  アレン・ネルソン Allen Nelson さん

参加費  500円(高校生以下無料)

主催/真宗大谷派同和推進委員会

問い合わせ;金沢教務所(担当:亀渕)
℡076−265−5191

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2005年6月16日 (木)

関西への旅

13日 昼、朝日の若坊守さんの会で龍樹の話をして
    夜、らくりんさんのお寺で十住毘婆沙論の勉強会
    すごく頭のイイ新人さんをお連れする
 
14日 ふと思い立ち大阪へ 南御堂でmaroさん、ぐっちんさんとまちあわせ
    コリアンタウンで七輪の焼肉
        はしごうるま御殿でカチャーシー踊りまくりに圧倒される
    こういうのをオフ会というんだな お二人とはログの裏話みたいな
    リアルコメント、リアルトラックバックみたいな
    読んでくださってるんだなということで こちらも書く意欲がわきました
 
15日〜16日 研修道場で修練打ち合わせ
    修練に関わると、書を読むことが教学だとまた勘違いしてたと思い知らされる
 
ということで帰ってきました。明日からもがんばります。

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2005年6月13日 (月)

アニメよもやま話

先日、「Zガンダム〜星を継ぐ者〜」の2回目、アニメ仲間のAckyさんをお誘いして行ってきました。2回目となりますと、はしょったテンポとか新旧混在の映像とかに慣れて、十分に内容を楽しむことができました。

 私はガンダムと銘打った作品のなかでも(OVAとか全部制覇したわけでないですが)Zガンダムが一番お気に入りです。まず、ブライトが艦長になる前のアーガマの雰囲気がいい。スタートレックみたいな感じで。フレックス准将がそこに立ってるだけでエエです。そして、今回のアムロが輸送機でアッシマーに体当たりするシーンもたまらん。ニュータイプの凄さということをこういう形で表現するのがまた、凄いなと思いますわ。 もう一度、いきたいのですがw 「ミリオンダラーベイビー」、「バタフライエフェクト」そして「エピソードⅢ」も行きたいので、DVDが出るまで我慢します。

これまた先日、バンダイチャンネルをのぞいたら「青い瞳の銀鈴」が放映されていたのでさっそく楽しみました。 OVA「ジャイアントロボ」というのが核問題を取り扱ったお気に入りオススメの作品でして、その外伝をずっと見たかったのですがレンタルにもないし高価なDVDを購入するしかないかと思っていたのが、ネットで見れるようになってラッキーでした。こういうのを見ると、作品が作られた頃の盛り上がりみたいなのものを感じす。

 今川泰宏の作品は非常に個性的で大好きです。「機動武闘伝Gガンダム」もすばらしいのですが、最新作の「鉄人28号」リメイクはまさに、奇作でありました。別にレビューを書こうと思っています。

 TVでは「メジャー」が終わってしまいましたが、「ツバサクロニカル」がアニメ化されて驚いています。あと、「エウレカセブン」なんぞも見始めました。

 いや〜 アニメ文化って ホントにいいですねぇ〜

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2005年6月12日 (日)

憲法と平和を問いなおす


  憲法改正が声高に叫ばれているような雰囲気が醸しだされてる今日この頃だが、攻殻機動隊風にいえば内閣情報調査室あたりで情報操作が行われているような気がしてならない(笑)

  さて、戦争放棄憲法第九条ってのはなかなか尊いことを言ってるし、これまでよく日本国の平和を守ってきたよありがとうとは思うが、自衛隊を持ってしまったことが九条とは矛盾しているし、いまさら軍備を捨てよとはいえないし、こりゃあどうしたらいいもんかなということもあって、この本ならそのあたり答えてくれるかなと手にとったわけです。

  で、読んでみたら、期待通りにそのあたりがうまく整理されていて、憲法九条が存在することを「穏和な平和主義」を引き出すための手立てとして最大限利用するのがいいという感じでまとまっています。その意味ではこの本の立場は、かたくなな護憲でも改憲でもなく、いわゆる「中道」なんでしょう。

 「本書をここまで読み進めた方は、国家の主権や国境だけでなく、人権や個人の尊重という観念の意味まで相対化されてしまったことに戸惑いを覚えておられるかもしれない。こうした観念は、いろいろな問題を解決するに際して、自分で考えないですませるための「切り札」として使うには便利な道具である。自分で考えるということは、「・・・である以上は、当然・・・だ。」という論法で使われる、そうした「切り札」など実はないとあきらめをつけることである。 そして、自分で考えはじめた以上は、本書ももはや用はないはずである。願わくば、本書を踏み台としてさらに進まれんことを。」

  しかし、ぼくらは著者ほど頭がよくないので「ターミネーター」のエンディングみたいなことを言われても、やはり道に迷ってパート3までいって自滅してしまうような気がするw まぁ、国家も人権も実体のない観念であると見切った上で、軍備拡張を歯止めする方便として第九条を仮設するという長谷部恭男氏の論理に沿うのがベターだと思うよ。やっぱり。

  ついでに、一切空を背景としつつも、救いを実現する手立てとして本願念仏を設てる龍樹の実践論(十住毘婆沙論)を、そこに連想したりした。

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2005年6月11日 (土)

宗議会

 
先日のハンセン病に学ぶ会で、現況報告をしていた川邊嘉光氏(全国退所者連絡協議会 事務局長)が、突然、大谷派教学研究所長 玉光順正氏の解任問題への憂慮を示されたのには驚きました。一緒に聴講していたお西の方々は「大谷派の方針が変わってしまうのか」と驚いていました。
ふるさとネットワーク富山の藤野豊代表(富山国際大学教授)もこの問題について非常に心配していると話していました。
 
教団外の方々のほうが、物事が見えているにちがいない。 
 

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2005年6月10日 (金)

悪人をめぐって

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。(「歎異抄」)

君は今、君の親戚なぞの中に、これといって悪い人間などいないようだと言いましたね。しかし、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中に存在するはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな、普通の人間なんです。それが、いざという言う間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです(夏目漱石「こころ」)

 

あくにんしょうき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(WikiDharma)』

浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ用語。「悪人こそが阿弥陀仏の本願による救済の主正の根機である」という意味。つまり、阿弥陀仏が本当に救いたいのは悪人であり、善人は自らの力で成仏を目指せるので、眼目ではないというものである。

ここで「善人」「悪人」をどのように見ているのかがもっとも大切な部分である。もちろん法的な善悪を問うているのではなく、阿弥陀仏の真実に照らされたときに自らが悪人であるということを自省した上での悪人である。つまり、真実に目覚めたときに、自らが何ものにも救われようがない悪人であることに気付かされ、すべての衆生を救うとの本願によって救済の本当の目標が悪人である自分自身であったと気付かされるすがたを悪人正機と言うのである。ここに「親鸞一人がためなり」と阿弥陀仏の本願に救われていることを喜ばれる親鸞の法味がある。この説は悪をただ無条件に許容するものではない。どこまでも悪の誘惑に打ち勝とうとすべきものであるが、善に励もうとすればするほど、真に悪に打ち勝てない自分を悲嘆するのである。 http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%82%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8D

 

「彼らの言動を膨大な「善良の市民」たちが支えている。自分を何の躊躇もなくまともな人間の側に置き、犯罪被害者に心からの同情を寄せ、犯人(容疑者)に不思議な動物でも見るかのような視線を注ぐ。この安定した固い枠が永遠に続くとでも思っているかのような自信に満ちた態度である。自分の中の悪を見ようとしない彼らは有罪である。自分の中の悪に蓋をして、他人を裁く彼らは有罪である。」

「根本悪のもとにあるからこそ、われわれは道徳的でありえるのだ。根本悪の絶大なる引力を知っているからこそ、われわれは最高善を求めるのだ。われわれには絶対的に「正しい」解答が与えられないと知っているからこそ、それを求めつづけるのである。」 (中島義道「悪について」岩波新書) http://blog.livedoor.jp/anan1/archives/23092501.html

 

 中世における「悪」という言葉は、必ずしも道徳的善悪を指す言葉ではなく、「悪源太」「悪党」のように突発的な力を噴出する有様を指すものだと今井義晴が「親鸞の家族と門弟」(法蔵館)に書いていた。本紛失><


  善人より悪人のほうが救われるとするこのアクロバティックな思想には、さまざまな解釈があります。真宗全般の解釈としては、ここで親鸞が使っている悪人は、ほとんどすべての人をあらわしていると考えられているようです。確かにそう考えないと、悪行を肯定どころか推奨しかねない教えになってしまう。この思想はさらに、悪であることを自覚することが大切だとの教えにも発展します。自分の中の悪なる部分を自覚しない善人よりは、自覚している悪人のほうが救われる。これも解釈の一つです。僕の語彙に言い換えれば、葛藤や煩悶が大切だとの文脈になります。

 でもね、摂取不捨と重ね合わせて考えると、もしかしたら親鸞は、本気でもっと単純に、悪人のほうが善人より救われるんだと囁いているような気がして、彼の強烈な常念というか達観というか、その気配を感じてしまい、僕の中の善悪の基準が激しく揺さぶられるような感覚にとらわれてしまうんです。(森達也「こころをさなき世界のために」(洋泉社)
こころをさなき世界のために―親鸞から学ぶ〈地球幼年期〉のメソッド

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2005年6月 9日 (木)

子ども会のおしらせ

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雨降らないといいんだがなぁ

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2005年6月 7日 (火)

おわったーー

丸一日の法話、終わりましたわ
もう、安心してビールで酔いまくってます
 
とうとう、今回もノートは作れずに
気がつけばBlogを再開して書き始めたことを手がかりにして
一日しゃべってきました
 
こういう、学びの確かめというのは おれにとって
確実に必要なんだと実感したぜ
 
さて、もう寝ることにしますです みなさんグッドラック
 

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2005年6月 6日 (月)

今日も暑かったよぉ

ふるさとネットワーク有志でシンポジウムの協賛・後援のお願いに各政党の県議会議員と教育関係、弁護士会などを回ってきました。その前にマスコミへの記者会見などもありました。
 
大事なことなんですが、こう上着を着てカシコマルのは性に合いません。一人だけワイシャツネクタイに輪袈裟、間衣をつけていきました。どうだったんでしょうか。。
 
県教組にお願いしにいった時、対応してくださった方がこういうことを話されました。初めて最近、仏教婦人会に参加したら、その講師の方がハンセン病問題を取り上げ、シンポのことを伝えていたと。驚きをもって話してくださいました。
 
うーん、こういうことはやるべきなんだと、実感させられました。
 
で、このごろ、こう、連日ヘビーなんで、酒でも呑んで寝てしまいたいのですが、明日、さっそく親戚寺院の祠堂経法要で一日、お話をしてこなければならないということで、毎度のごとくプレッシャーに押しつぶされてます
 
やばいです だれかなんとかしてください ><

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講座レジメとメモ

テーマ 凡夫が凡夫のまま救われる道 −阿弥陀仏は念ずる人の前にー
 
1、沈黙がイダイケの求道心を引き出す
「沈黙とは単に語らざることではない。沈黙はひとつの充実した世界として独立自在しているものなのである」マックス・ピカート  正義に偏ると愚痴となる
 
2、身業説法 −身をもって説法するー  骨となって死を教える
 
3、本当に生まれ生きたい世界・国を自ら選ぶ
「どれだけ道があろうとも、自分が登るとなるとひとつです」平野修
在家仏教(仏教は家に在り)が真の仏教
だれも本当の道を求めたい心が息づいている
悩みが肥やし 悩みを断つのではなく転ずる
 
4、「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて・・・」
 
5、「仏様を念ずる人の前においでになります」曽我量深
 
6、「阿弥陀仏 悟ればすなわち去此不遠(ここをさることとおからず) 迷えば遥かに西にこそあれ」一休
 
7、「みほとけは まなこをとじて み名よべば さやかにいます わがまえに」
 
 

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推進員養成講座 終了

地域の寺院を巡回しての5回の講座を終え、二泊三日、44名の方々を引率して上山研修してきました。講師の今泉温資先生のお話がわかりやすかったおかげでしょう、驚いたことに受講者の全員が上山してくださいました。玉永寺からは8名(内、40代の男性が2名、50代の女性が4名)が最後まで出席しました。
 
このことについてはウレシイのですが、どうもすっきりしていません。それは、あるスタッフと考え方が合わないというのがはっきりしてきたからなんです。
 
同朋会運動にしてもハンセン病問題を課題とした運動でも、このごろ他のスタッフと波長が合わないことを悩んでいます。おなじ目的を持ちながらも、そのやりかたに隔たりがあるのです。そしてその根底には利害関係、勢力争い、自己顕示欲といったものが絡んでいて、自分のなかにもそれらがあることを自覚します。こういうのを派閥意識とかセクト争いとか言うんだなと。こう、出口なし、みたいな、閉塞感。
 
あおさんが書いています。、「我というのはつながりの中にある私(関係的存在としての我)このとであり、関係といっても自分にとって都合のいい関係ではなく、自分の過去すべてだということを考えさせられました。もうひとつ、普通自分が楽をしたい、楽しみたいというときにはその裏では自分に親しいものが苦労をするのが私たちの生き方であり、宗祖というのはみんなが楽しく生きる世界を求められたそういう方だということをあらためて教えていただきました。」

自分がなにかを押し通せば、それによって引かざるを得ない人が出てくる。それは変えようのない現実。「あわれ、生きものは、互いに食みあう」ということを課題とされたのがブッダですよね。でも、その答えというか解決法は見つかったんでしょうか?
 
帰りのバスで寝すぎました。「バラバラでいっしょ −差異を認める世界の発見ー」前の御遠忌テーマですが、そんな世界なんてどこにあるんだろう? 眠れません

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2005年6月 2日 (木)

ハンセン病に学ぶ会

上記の会に参加してきました。
本願寺派の方々の多くの出席があり、ほぼ50名は参加していました。
 
あおさんが、いい感じに司会してました。
 
こういう回復者の方々の話を聞くと、現実の課題を変えていくのは、理念とか理論ではなくて、一人一人の出会いしかないのだということを、教えられます。
頭かかえていたって、ホンマしょうがないんだなと。
 
研修会の後の懇親会にぜひ参加したかったのですが、明日早朝に本山へ発つということで、後ろ髪引かれつつ 寝ることに します。
 

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見てきましたよ Zガンダム〜星を継ぐ者〜

うまく時間ができたんで、うきうき森口博子の名曲「水の惑星」を口ずさみながらシアター大都会へ車を走らせました。
 
窓口では少々緊張しましたね。「ゼータ」って言わずに、わざと「ガンダム一枚」と。いかにもおれはマニアじゃないんだよ、よく知らないけどたまたまやってたんで見てみようかって思っただけの普通の人なんだよって目で訴えながら、こそこそと入場券購入・・
 
って、見上げるとなんと 入り口に行列ができてるじゃないですか! 平日の昼間なのに!
おお、ガンダムもついに日陰の花じゃなくなった。高橋瞳の歌もオリコン一位になったことだし、いい大人がアニメなんていわれることも、もうないんだ!
ボクはここにいてもいいんだ。。。心の中で叫びつつ 会場へ。
 
富山ではここしか上映してないし、1000円で入れる映画の日だったりしたんですが、それでも3分の2は客席が埋まったんでちょと驚きでした。
 
アベックがちょっといましたが、ほとんどはやぱーり20代から30代の男性。劇場にはTV版のED曲とかが流れてて、やっぱり常人なら違和感あるだろうという雰囲気を後ろめたく楽しむうちに、無事、『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者-』を見終わって参りました。
 
感想はですね、うーん やっぱり総集編だったなと。
しかも、初めて見た人にはさっぱりわからんでしょうな。省略されすぎてて。
確かに新しいセリフなどが入ってるんですが、そうTV版と変わらんですわ。
まぁ 次の二作ではかなり新しさ入っているでしょうし、そのあたりが楽しみですな。
 
ということなんですが、シアター大都会は毎週木曜日、男性1000円の日ということで
来週にでも、もう一度見に行こうと思っとります あは

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シン・アスカ

 新シリーズの主人公なのだが、どうもわかりにくいキャラだと思っていた。彼のオーブを恨む気持ちに感情移入しづらかったのだ。オーブという国が「他国に侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに関与しない」という理念を掲げるがゆえに地球連邦からの攻撃を受け、その戦乱の中で家族たちが殺されることになった。オーブは彼の家族たちを守ることができなかった。だから国を恨むということなんだろうが・・
 国を焼かれてまでオーブの理念を貫いた(?)ものたちが、敵国の有志の共感を集め、人類を滅ぼすまでエスカレートしつつあった戦争を休戦に導いた、前作の爽快感を引きずっているからだろう。シンの恨みというものが、個人的な狭いものに見えてしまったのだ。
 
 先回、愛する人、ステラを看取るという、過酷な体験をシンは再び味わうことになってしまった。わたしもあの絶叫のラストを見た後、落ち込んでもう立ち上がれないような気分になった。夕飯、食べたら元気になったがw まぁ これで、彼女を殺害した当事者であり、前作の主人公であり、オーブの理念をもつキラ・ヤマトという人に、彼の恨みの焦点は、明確に定まったわけだ。
 
 傍から見れば、暴走し大量殺人を続けた彼女を撃ったキラの行為は正しく、それより彼女を戦争に駆り出したネオとその指導者が責められるべき。さらには悲劇を生み続ける戦争という状況自体を変えようという視点をもったらどうかとも思うのだが、とてもそんなにスラッといかないのだろう。恨みや憎しみほど強く人を縛る感情はないのだろう。
 
 怨恨を体現化したシン・アスカと、戦争の愚かさに対する嘆きから立ち上がるキラ・ヤマト。
 二人の対決の結末に注目 だな。

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