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2004年9月28日 (火)

今日は同朋会

今 寺報の編集に追われています。住職と坊守と私とで、ケンケンガクガク、一触即発に意見を戦わせ、えらいことになってます。私一人で作れたらいいとも思いますが、他人といっしょというのも大事なんでしょうね

午後から同朋会 正像末和讃の便同弥勒の部分です どうなりますやら


第二十五首

五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへん
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし

○五十六億七千万
「菩薩処胎経」に,弥勒菩薩は五十六億七千万年後に兜率天からこの人間世界へ降りてきて新しい如来となるとある

○このたび
この機会。

「真に知りぬ。弥勒大士、等覚金剛心を窮むるがゆえに、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。かるがゆえに「便同」と曰うなり。しかのみならず、金剛心を獲る者は、すなわち韋提と等しく、すなわち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなわち往相回向の真心徹到するがゆえに、不可思議の本誓に籍るがゆえなり。」
(親鸞聖人  「教行信証」)


第二十六首
念仏往生の願により    等正覚にいたるひと
すなわち弥勒におなじくて 大般涅槃をさとるべし

○念仏往生の願

第一八願 たとい我、仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれざれば、正覚を取らじと。ただ五逆と正法を誹謗を除く。

わたしが仏となる時、あらゆる人々は、心を尽したわが願いを信じて、わが国に生まれたいと願う真の欲求を発見するだろう。少なくとも十回の念仏を称えて、もし、わが国に生まれないならば、わたしは仏となることを放棄する。ただ、五逆のつみびとと、仏法をそしるものは除くということを銘記してほしい。

○等正覚
「正定聚の位なり」(左訓)
仏になる因が充分に熟した等覚の位のこと

○大般涅槃
すぐれて完全なさとりの境地
第二十七首

真実信心うるゆえに
すなわち定聚にいりぬれば
補処の弥勒におなじくて
無上覚をさとるなり

○補処
ただ一生涯の間だけこの迷いの生死の世界に縛られるだけで,次の生涯には仏となることができる位。一生をすぎれば仏の位(仏処)を補うべき地位の意味。菩薩としての最高位。

○無上覚
「大般涅槃をまうすなり」左訓

しかれば、念仏のひとをば、『大経』には、「次如弥勒(念仏のひとは弥勒のごとくほとけになるべしとなり」とときたまえり。弥勒は竪の金剛心の菩薩なり。竪ともうすは、たたざまともうすことばなり。これは聖道自力の難行道の人なり。横は、よこさまに、というなり。超は、こえてというなり。これは仏の大願業力のふねに乗じぬれば、生死の大海をよこさまにこえて、真実報土のきしにつくなり。「次如弥勒」ともうすは、「次」は、ちかしという、つぎにという。ちかしというは、弥勒は大涅槃にいりたまうべきひとなり、このゆえに、弥勒のごとしと、のたまえり。念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり。つぎにというは、釈迦仏のつぎに五十六億七千万歳をへて、妙覚のくらいにいたりたまうべしとなり。「如」は、ごとしという。ごとしというは、他力信楽のひとは、このよのうちにて、不退のくらいにのぼりて、かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、弥勒のごとしとなり。
 『浄土論』(論註)に曰わく、「経言「若人但聞彼国土清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚」此是国土名字為仏事 安可思議」とのたまえり。この文のこころは、「もし、ひと、ひとえにかの国の清浄安楽なるをききて、剋念してうまれんとねがうひとと、またすでに往生をえたるひとも、すなわち正定聚にいるなり。これはこれ、かのくにの名字をきくに、さだめて仏事をなす。いずくんぞ思議すべきやと、のたまえるなり。安楽浄土の不可称・不可説・不可思議の徳を、もとめずしらざるに、信ずる人にえしむとしるべしとなり。
 また王日休のいわく、「念仏衆生 便同弥勒(龍舒浄土文)といえり。「念仏衆生」は、金剛の信心をえたる人なり。「便」は、すなわちという、たよりという。信心の方便によりて、すなわち正定聚のくらいに住せしめたまうがゆえにとなり。「同」は、おなじきなりという。念仏の人は無上涅槃にいたること、弥勒におなじきひとともうすなり。
(親鸞聖人 「一念多念文意」)

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2004年9月25日 (土)

聖教学習会(こうさぎ)

きょうはanan1は初へ疏するつもりだった?
anan1は、

研修部主催 古田和弘先生の観経疏の随文解釈は終わりまして 今回と次回でまとめということです
観経についての善導解釈の独自性を改めて整理してくださいました

観経疏の随文解釈は終わりまして 今回と次回でまとめということです
観経についての善導解釈の独自性を改めて整理してくださいました

観経疏の随文解釈は終わりまして 今回と次回でまとめということです
観経についての善導解釈の独自性を改めて整理してくださいました
法然が「善導独明仏正意」と親鸞が「偏依善導」と親鸞が「善導独明仏正意」と親鸞が「善導独明仏正意」と親鸞が「偏依善導」と親鸞が「偏依善導」と親鸞が「善導独明仏正意」と親鸞が「偏依善導」と書いた理由が 

といってました。

*このエントリは、こうさぎの「   ほうぞー」が書きました。

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2004年9月22日 (水)

ラーメン

0b6907a2.JPG久しぶりに行ったら人並んでるんで萎えてやめた

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2004年9月21日 (火)

こんなんなってた

47bc9125.JPG工事はじまったばっかかな

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2004年9月20日 (月)

日記まとめ書き

9/7からの日記を加えました やはり 文字にしてみると考えを整理できるような気がします
農繁期なんで寺は暇なんですが 我ながら よく動きました
明日から教導で同朋会館へいきます

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2004年9月18日 (土)

選択本願

11組同朋の会 テキスト正信偈にて「選択本願弘悪世」を中心にお話しました

いままでこのテーマが非常に苦手でした
「本願は法蔵菩薩の選択である」と言うのがなにかうしろめたかったのです そうは言っても そのように読みたかったのは法然ではないのか 想像上の菩薩に責任を押し付けているようで
しかし 久しぶりにこのテーマについて話すことになったのですが ぜんぜん「法蔵菩薩が選択した」という話に違和感がなく 説明もしました
あらゆる人びとを救うために 一番 やさしい方法 念仏を 法蔵菩薩は選び 他の難しい方法を捨てた この話になにも悪魔的なことはない

「法蔵菩薩って何?」って言われても まぁそういう人がいたことにするでもいいし 私たちの本当の願いを擬人化したでもいいし とにかく とっかかりがいいように作られた話にしてもいいんじゃないんか

座談会は「ただ念仏でいいとは思えない」ということについて話し合いました

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2004年9月17日 (金)

聖教学習会

研修部主催 古田和弘先生の観経疏学習会に16〜17といってきました

観経疏の随文解釈は終わりまして 今回と次回でまとめということです
観経についての善導解釈の独自性を改めて整理してくださいました
法然が「偏依善導」と親鸞が「善導独明仏正意」と書いた理由が 当時の仏教界における善導の位置を踏まえたものであるということが印象に残りました
次回も出席したいものです

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メダルが途切れた日(こうさぎ)

   ほうぞーが北日本へanan1がこどもがHPしなかった?
   ほうぞーは慰労されたみたい…
きょう、本堂にanan1は本堂へメールアドレスはHPしなかった?
きのうは北日本へ玉は反省したよ♪


*このエントリは、こうさぎの「   ほうぞー」が書きました。

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2004年9月15日 (水)

児連下見

f5ff27fd.jpg11月に小学生一泊研修会を行う下見に妙高高原の東本願寺池の平青少年センターまでいって行きました
交通事情がよくなって富山から1時間半でいけるので驚きました
妙高高原駅で大もり蕎麦を食べました
胃がもたれるくらい ごっついかんじでした

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2004年9月14日 (火)

第13組坊守会

「未完成の大切さ」という講題でお話しました

前半は「浄土はなぜ説かれたのか」という感じで
仮設、方便ということを中心に話しました

後半は菩薩道ということから 動じない人間になるのではなく 「生き生きと悩む(昨年のミネさんの講題から)」あるいは 安心して迷うのが真宗の救いであるというお話をしました

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2004年9月13日 (月)

じゅうじゅうびばしゃの会

らくりんさんとこで5釈願品に入りました
1序品のあと 2入初地品でどのようにして初地にはいるか 3地相品で初地とはどういうすがた(相)であるのか 4浄地品で初地をどのように習得するのかが書かれていました
釈願品は菩薩が初地に入れたのは「願」があったからだと そしてその願とはどういうものかが書かれています

龍樹の「願」について 浄土教の文脈として私たちはこれを法蔵菩薩の本願と読む
龍樹には法蔵菩薩についての明確な言及がないのですが ここを私たちがそのように読む根拠は 慎重にしていきたいものです

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2004年9月11日 (土)

こども会

01bb74c1.jpg敬老の日におじいちゃん おばあちゃんたちに贈る
葉書をみんなで書きました

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2004年9月 9日 (木)

災害

Yahoo!ニュース - 石川 - 毎日新聞


富山の農業被害額は5億円(北日本新聞)

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台風18号(こうさぎ)

   ほうぞーが如来へ:したかったみたい。
anan1は、

本堂 瓦飛ばされました 桜の木 倒されたりしました 桜の木 倒されたりしました
寺はこれくらいで済んだんですがね。


といってました。

*このエントリは、こうさぎの「   ほうぞー」が書きました。

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2004年9月 8日 (水)

台風18号

831c1612.jpg本堂 瓦飛ばされました 桜の木 倒されたりしました
寺はこれくらいで済んだんですがね。。。

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2004年9月 7日 (火)

企画会

富山教区教化委員会への提言を行いました

○「育成員研修スタッフ」を創設
募集  各組より1(2?)名を選出 40歳以下 教化委員長推薦で2名追加
任務 育成員研修の企画・運営
内容 教化委員会に出席し各研修会を企画
1 秋安居     講師打ち合わせ 受け付け 司会 進行 座談会司会
講義に終始せず攻究・座談を取り入れる
2 真宗教学研修会 講師打ち合わせ 受け付け 司会 進行 座談会司会
講義に終始せず攻究・座談を取り入れる
3 声明作法講習会 講師打ち合わせ 受け付け 司会 進行
4 一泊研修会   講師打ち合わせ 受け付け 司会 進行 座談会司会
5 月例学習会   受け付け 進行 各研修会の打ち合わせ 事前学習
 推進員養成講座(講座に一回参加) 同和研修会 女性問題研修会等に積極的に出席
 年末にレポート(論文 教区への提言など)を「如大地」などに掲載
運営する研修会において教区より交通費支給
各組より人材育成費として5万〜10万を推薦者に支給

学ぼうとするものが共に学ぼうとする人を生み出していくような流れができないものかという発想でした
次回の企画会には出席できないし 他の方の手を経て 私の提言は 変えられて 私のものではなくなっていきます

それが「組織」なんですね

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2004年9月 6日 (月)

「霊魂はあるのかないのか」は戯論?

「霊魂は存在するのか」という問題には毒矢の喩えを出すのが 模範解答なんでしょう
しかし このごろ私は それで終わっていいのかしらとも思うんですよ この問題は哲学というよりも もっと心の奥底からきています 思い通りにならない人生に知覚では捉えられない何かが作用をしているのではないかという漠然とした恐れというものは 理性、論理では対処しようがないのではないか 頭では分かっているつもりでも なにか怯えてしまうことってあるでしょ
小さな子供に言うことをきかせるのに「おばけがくるよ」と脅しているのを先日見かけました そういう擦り込みのようなこともあるんじゃないかな 

浄土が死後に実在するという教化がなされてきて このごろはそれは間違いであるということも言われるのですが 経典にも死後に実在するという書き方も実際あります

浄土を設けた経緯について 人びとを救うための「方便」という捉え方を諸師は積極的に展開してきました が浄土は死後の恐れというものに応じて説かれたということもあるのではないでしょうか 

怨霊とかタタルとか前世の報いとか いまでも様々な世代の文化のなかで展開されていますが そういうことに取り込まれてしまいそうになるとき 北陸では蓮如さんの御文から「平生業成(いまが大切)じゃから大丈夫 阿弥陀さんにおまかせじゃ」という台詞で対抗してきました

いつでも どこでも だれにでも 開かれている世界がある あるいはそういう世界を仮に設けてみようということでもいいんですが 理論とはべつに、実践的に人びとを救う働きをしてくれるんじゃないかな 浄土は

先日のゴーストの話のとき こういうごちゃごちゃしたことを話したわけです
でも この辺りはごちゃごちゃとしか話しようがないとも思うんですがネ

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2004年9月 5日 (日)

夏が終った

eb4fccd0.jpg このところ夏のラジオ体操は隣の神社で行われていましたが、今年は玉永寺が会場となりました。
 毎朝6時半、お寺の境内に子供たちが集まって、手足を元気よくのびのびとさせていました。
 暑い夏でした。お盆を挟んでオリンピックもありました。私も眠い目をこすりながら体操してました。 
 今、ベックという名前の犬を飼っています。最初のうち怖がっていた子もいましたが、少しずつ慣れてきて、最後の日にはみんなでベックを可愛がるようになりました。
 写真は最後のラジオ体操の日に、記念に撮ったものです。ちょっと寂しそうな表情もありますね。
 後でお聞きしますと「もうラジオ体操ないの? 毎日ラジオ体操があればいいのにね」とおっしゃっていたお子さんがいたそうです。
 来年、また、みんなでラジオ体操したいもんです。

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ガラリアのカナ

うたたねの記:最初の奇蹟

トラックバック 初めてつけて 失敗してまたつけます すいません

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」にて信仰心がゆらいだ主人公アリョーシャが再び立ち上がるシーンがあります
そこに聖書の中の最初の奇跡に 自分も立ち会うという夢がでてきまして なんで この箇所が出てくるのか漠然とした疑問をもっていました

それが これを読ませていただいて キリスト者たちの輪のなかに自分も連なり 歩き始めるという アリョーシャの素朴な喜びをドストエフスキーは表現しようとしたのだと思い至りました

聖典を学問とか知識の対象としていたら 特に奇跡みたいなことは分からないので 聖典は先人たちの生活から生まれてきたのだから 同じく生活のなかでしか味わえないことがあるのだと思いました

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2004年9月 3日 (金)

華の会

となりのとなりの組の若坊守さんの会に昨日行って来ました

如来、世に出興したまうゆえは、弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。

この部分について テーマを「諸仏」として話しました

釈迦だけが仏なのではなく 時代と国を越えて 次々と諸々の仏たちが生まれるというのが大乗仏教の「諸仏」という教えであり
世自在王仏と法蔵菩薩 釈迦と阿難 そして法然と親鸞といった出会いが仏教を伝えてきたと そのあたりを 先日TVでやってた「シックス・センス」を例に出してみました

シックス・センス
この映画 初めて見たのですが実に面白かった! 最後のドンデンガエシが最高! 救おうとするものが そのまま救われるものになるですよね
その辺りを「自利利他円満」を内容とする出会いということでやってみました

漢字文化がなかなか若い世代に受け入れられないということもあって 映画などを喩えにつかってみたのですが 自分としてはうまく話せたと思いました

しかし「シックス・センス」といえばゴーストということもあって「幽霊とかって真宗じゃどうなるの」という座談会になり すこし混沌としてしまいました

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2004年9月 2日 (木)

私が意識する以前から成立している救い(こうさぎ)

anan1の、参考しなかったー。


*このエントリは、こうさぎの「   ほうぞー」が書きました。

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2004年9月 1日 (水)

さよなら ニフティ

今朝 わたしのニフティのHPとメールアドレスが消滅しました

おもえばパソコン通信からお世話になり 10年の御付き合い させていただきました
「読み解く」に読書会のアドレスを掲載していただけるというときに 老舗だしだいじょぶだろうと入り口をこちらのアドレスをお願いしまして その後プロバイダーをケーブルにしても 契約し続けていたのですが。。。

ニフティの都合にてアドレスを強制的に変えられてしまうということで このような事に あい なりはてました トホホ

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